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性格が良いor悪い   言葉

  1. 1. 超人と動物の違い
  2. 2. 植田佳奈は性格が良い
  3. 3. 異性に対する「好き」や「可愛い」

昔から僕はこの物言いが好きではありませんでした。「あの子性格悪いから」悪いとはいったい何なんだと。否定的な心意気だけは伝わるけど、しつこいのか、話が長いのか、面白くないのか、残忍なのか、愚劣なのか。「性格が悪い」の中には解釈次第でさらに様々な意味合いが含まれます。以前も述べました通り現代では良いは道徳的なこと。悪いはそれ以外の全てを指します。だからおそらく性格が悪いも不道徳の意味で使われているのでしょう。

アルキヨン(※ギリシア神話に登場する幸運の鳥)さながらの晴朗な性格、軽やかな足取り、悪意と激烈さの共存する気性などは、いまだかつて偉大さの本質的な属性をなす要素として夢想されたことが一度もなかった。

これは植田佳奈さんのことではなく、ニーチェが超人のサンプルとした架空の人物・ツァラトゥストラを評した言葉です。だから植田佳奈はニーチェの理想にかなり近いんだって。ちなみにニーチェは一人の女性に入れ込んで、こっぴどくフられたそうで、その様もだいたい想像がついて実に微笑ましい。ニーチェみたいな人は植田佳奈みたいな人が好きかもしれないけど、植田佳奈みたいな人はニーチェみたいな人が好きじゃないから。絶対。その結果ニーチェは生涯独身だった。あまり人ごとじゃないけどね( ´ ー ` )

1. 超人と動物の違い

ニーチェの超人の定義を読むと、むしろ猿へと後退しているように感じられることが何度もあります。僕はかつてマジメなキリスト教徒だった筈なのにキリスト教をほとんど覚えていないので、間違っていたらごめんなさいね。キリスト教では人間と動物の違いは道徳だと教わります。したがってキリスト教的には道徳破壊者であるところの超人が動物に近付くのは当然と言えます。ニーチェは何冊も読みましたが、超人と動物の違いは明確に提示されていなかった気がします。

僕は超人と動物の違いは教養だと考えています。ニーチェ自身は教養の蓄積(というか)に懐疑的だったのでこのような結論は出さないでしょう。しかし教養が知的判断力の源になることは明らかで、教養が多ければ多いほど、一見何の関係も無いような問題の解決についても目に見えて間違いを減らせます。まぁ連立方程式のようなもんです。成立した式を多く知っているほど未解決のxやyを求めやすい。その教養の幅についても植田さんはそれなりにレベルが高い。植田さんはそれなりに何でも知っていて、それなりに何でも上手くやる。つまり何を言いたいかというと

2. 植田佳奈は性格が良い

ということです。少なくともニーチェ的にはね。僕は他人の性格のレベルには関心がありません。ひとえに性格を良い悪いで表現する傾向を廃止していただきたい。言葉を使い分けろよ。ほとんどそれだけのために基礎教育を受けたんだから。

3. 異性に対する「好き」や「可愛い」

こういう曖昧な語句の使用を禁止したら少し面白くなると思う。異性に対する「好き」は一般に「セックスしたい」を意味することが非常に多い。「可愛い」も同じですよ。要するに「セックスしたい」んだと。どちらも「セックスしたい」の同義語ならば、そこに「好き」と「可愛い」は実は同じ意味ではないかという哲学が起こる。哲学が起こるような言葉遣いはそもそも不適切だから。

好きです

と言われると反応に困ります。なぜなら

ああそうですか。。で?

としか言いようが無いからです。聞き返されるのは情報が足らないからです。

すいません●×▲×見せてください(;´Д`)

とか

ぶっちゃけ生活費ください(;´Д`)

と言われれば大変わかりやすい。誰が誰の何をどうしたいのかを明確に伝えるだけで、この退屈な世の中はかなり面白くなる。大衆のボキャブラリーも広がるだろうし、意外に詩的な表現が発達する気がする。他人の言葉を覚える語学から、毎回その場で考える語学に変質するから。

BlogMode speed member / 2008.12.30 02:45

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