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結果は美徳の一つに過ぎない   サッカー

  1. 1. サッカーは作品である

「家を建てるのは難しいが、崩すのは一瞬。サッカーもそうでしょう。攻撃的ないいサッカーをしようとする。それはいい家を建てようとする意味。ただ、それを壊すのは簡単です。戦術的なファウルをしたり、引いて守ったりして、相手のいいプレーをブチ壊せばいい。作り上げる、つまり攻めることは難しい。でもね、作り上げることのほうがいい人生でしょう。そう思いませんか」

流行り物を取り上げるのはイヤなんだけど今ならまぁ良いでしょう。オシムの言葉の引用です。志が高ければ負けても良いなんてことがあるだろうか。もしかしたら無いかもしれない。基本的に勝利を目指さない競技には感動が無いので、オールスターも持ちネタの無い選手はせめて真剣にやった方が面白くなります。持ちネタとは監督に堅く禁止されている禁断の奥義です。露出狂プレスとか。ボールホルダーにディレイをかけながら少しずつ服を脱いで行く、無茶苦茶やる気があるように感じられる恐るべきプレス。

Q.1
カードを貰わずに一撃で相手のアキレス腱を切れる選手が居ます。
貴方が監督なら、彼を対ポルトガル戦で招集し、デコを壊しますか?


この問いに対する答えが結果が全てかどうかの答えです。Yesなら結果が全て。Noなら結果が全てではない。なぜNoなのか。ルールには違反していません。サッカーにおいてルール違反とは、レッドカードを出されて退場しないことだけです。ファールが選手生命に関わるかどうかも、ファールを実際やってみるまでわかりません。つまりこの問いに対する答えがNoであるならば、なるべくファールをせずに勝つのがベストです。

1. サッカーは作品である

そもそもなぜワールドカップで優勝したいのか。それは

これが日本だ。参ったか。

と言いたいからです。そこでたとえば闘莉王が汚いファールを繰り返し、デコの選手生命を断って勝ったとしたら、闘莉王を追放しなければならない。マリーシアとか寝惚けたことを言ってる場合じゃない。逆に日本に出来る精一杯のスキルフルで芸術的な組み立てをして3つ負けて帰っても、それはそれで良いじゃないか。優勝スキル芸術性知性と同じレベルの強さという一つのアピールポイントに過ぎないわけですね。クラブも同様です。このあいだカペッロがこう言っていました。

ACミランはルックスの良い選手をとても大切にする。
昔ならマルディーニ。今ならカカだ。


したがってルックスも代表の選考基準になりえます。それはそうでしょう。キリストだって白いイケメンだ。黒人は呪われている。呪われている証拠に黒人は大勢刑務所に住んでいる。アニメもヒロインを故意に可愛く描くのであって、全員ジャイ子ならアニメ自体が成立しない。エースを狙えの岡ひろみがジャイ子なら、中の人が植田佳奈でも一切知ったこっちゃない。そんなアニメは決して見ない。いや逆に見る。でも感動は与えられない。感動のロジックなんて所詮そんなもんなんだよ。ジャイ子がロスタイムに逆転ゴールを叩き込んでも凹むだけだ。その場面で自分がボール持ってて、ジャイ子が決定的なスペースに猛ダッシュで走り込んで来ても、もしかしたらですよ。もしかしたらパスを出さないかもしれない。客がイマイチ盛り上がらないからですよ。

この考えは学生の頃に持っていて、一度否定したんだけど、やはりスポーツと喧嘩は違う。喧嘩は何をしても必ず勝たなくてはならない。しかしスポーツは自己表現の手段なので、強さという美徳を表現するために一応勝利も目指すけれども、必ずしも勝てば良いわけではなく、勝つだけが自己表現の手段ではなく、勝つために他の美徳を犠牲にしなくてはならないなら、勝つ必要が無い。

BlogMode speed member / 2007.08.27 00:00

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